静かな執務室には怒気が満ちていた。それを放つのは、部屋の主でありデスクで書類を片付けていたザンザス。その原因は、彼に銃を突き付けるルッスーリア、そしてその隣で苦笑いするスクアーロだった。

「・・・何の真似だ」

「いやぁん、怒らないでボス!」

これが本物の銃であれば既にルッスーリアの命は無い。そうならずにいられるのは、銃が本物でないことをザンザスも知っているからだ。

事の発端は実はザンザスにあった。開発部が10年バズーカを真似て10年銃なるものを作り、それがどんな経緯を経たのか知らないがヴァリアーに回ってきたのだ。そして10年銃を手にしたザンザスは、特に興味も無かったので、たまたま任務の報告に来たルッスーリアとスクアーロに委ねることにした。彼らなら面倒な使い方はしないだろうと思ってのことだったが、それがいけなかった。

「ボス。私たち、あなたの未来にだけは興味があるの」

「・・・くだらねぇ」

微笑むルッスーリアにザンザスは忌々しげに吐き捨てる。次の瞬間には、その体は白煙に包み込まれていた。

怒気が消えた、と思った途端、それに代わって圧倒的な気配を感じた。ザンザスの放つ突き刺さるような威圧感ではなく、じわりと全身に、体の芯まで染み込んでくるようなそれ。そうして、立ちこめた煙が徐々に晴れていく。ザンザスが座っていた椅子には黒いスーツを纏った男が現れた。短髪に羽飾りは無く、知っているより幾分か顔立ちが年齢を重ねたようだが、しかし彼は間違いなくザンザスだった。

「・・・」

「ようこそ、10年前へ」

「・・・そうか・・・」

少し驚いた様子のザンザスだったが、ルッスーリアの言葉にすぐに状況を理解したようだ。おもむろに立ち上がった彼の手には花が握られていた。数本のアイリスが束ねられている。

「あら綺麗!」

「・・・かぁ?」

スクアーロの問いにザンザスはぴくりと眉を動かした。すぐに答えが返らないことにスクアーロが僅かに首を傾けると、ザンザスはゆるりと口角を持ち上げる。

「・・・他に誰がいる?」

「いねーなぁ」

つられてスクアーロにも笑みが浮かんだ。ザンザスはふと視線を落とし、空いた手でデスクに触れる。

「・・・懐かしーかぁ?」

「あぁ、・・・そうだな」

視線はデスクの上を辿ってゆく。やりかけの書類、ブランデーの入ったグラス、それから万年筆───これはザンザスの誕生日にが贈ったものだ。すっと目を細めた彼に、二人は10年後の様子を聞こうとはしなかった。少なくとも今と同じではないだろうし、もうヴァリアーのボスですらないのかも知れない。それでも彼が生きているなら、・・・が傍にいるのなら、十分な未来だ。

窓辺に歩み寄ったザンザスはそっとカーテンを開けた。その後ろ姿に、ルッスーリアが声を掛ける。

「ねぇ、に会っていったら?」

「・・・・・・・・・そうだな」

「呼び出しましょうか?」

「いや、連れてこい」

「分かったわ、待っててちょうだい!」

嬉々としてルッスーリアは部屋を飛び出していった。しかしスクアーロは腑に落ちない様子でザンザスを見る。

「呼び出した方が早いぜぇ?」

「・・・・・・・・・」

そんなことくらい承知だ、と振り向いた目が語る。ますます納得がいかず、スクアーロは首をひねる。

「今頃、10年後のてめぇが殴られてる頃かも知れんな」

ザンザスは唇を少しだけ歪めた。それは今まで見たことがない類の笑みだ。

(あんた、そんな辛そうな顔する奴じゃねぇだろぉ・・・!)

「・・・どういうことだぁ?」

10年の間に何かあった。直感でそう感じたスクアーロが語気を強めて問うと、ザンザスは視線を窓の外に逸らした。

「てめぇに非は無かった」

「・・・?」

「・・・未来ってのは変わるらしい。俺が見た10年後は、あんな景色じゃなかった」

話が見えない。だが何かあったことは確かだ。あのザンザスにこんな顔をさせる何か、が。何があった?ザンザスは生きている、への花束なんか持って。どう見ても幸せな10年後じゃないか。スクアーロの顔に浮かぶ困惑の色が濃くなった。

「心配すんな、また未来は変わる」

「・・・ザンザス、」

突然、バン!と勢い良く扉が開いた。ひどく慌てて入ってきたのはだ。いつもと違う気配にぴたりと動きを止めると、不思議そうな色を浮かべた目は、窓辺の男に固定される。ザンザスはまるで眩しそうに目を細めた。

「ボス・・・?」

「・・・・・・・・・ひでぇ面だな。慌てすぎだ」

「!」

走ってきたせいで髪が乱れていることに気付き、両手で髪を撫で付ける。そんなの後から、ルッスーリアはクスクス笑いながら入ってきた。

「来い」

呼べば、は信じられないといった様子で窓辺に近づいてくる。前に立ったを、ザンザスは静かに見つめた。

「・・・変わらねぇな」

ザンザスの見慣れない柔らかい表情にの心臓が跳ねた。思わず下へ目を逸らしたの視界に、ザンザスの手に握られた花束が映る。

(・・・プレゼント、だよね。誰に?・・・もしかして、奥さん、とか?)

無意識のうちにの表情が曇るのをザンザスは見逃さなかった。そういえば10年前の自分はに花など贈ったことは一度も無かったはずだ、と思い出す。

「10年後ののもんだ。てめぇにゃやらねぇよ」

つい意地の悪い笑みが浮かんでしまう。どうしてこうも苛めてやりたくなるのだろう。はぱっと顔を上げた。

「欲しいとか言ってません!」

真っ赤になっているを見てザンザスは可笑しそうに笑った。・・・この顔は知っている、スクアーロはそう思いながら、時計を見やる。

「ザンザス、そろそろ時間だぜぇ。何か言っとくことはねーのかぁ?」

「・・・そうだな、二度と俺に銃なんか向けんじゃねぇぞ」

「了解」

ルッスーリアが苦笑する。しかし、まだ会ったばかりなのに、とは慌てた。まだ10年後の彼を見足りない。

「もう会えないんですか!?」

「会いてぇなら10年間おとなしく待ってろ」

眉尻を下げたにそう答え、ザンザスは手を伸ばした。花を持たない片手をの頭に乗せ、髪の流れに沿って滑らせていく。

「・・・愛してる、

(・・・!何なのボス!10年経つとこんなこと言ってくれるようになるの!?)

今まで言われたことのない台詞には目を見開く。大きな手がの髪を何度か撫で、指が髪に絡められた。

「愛してる。・・・二度と俺から離れんな」

「・・・ボス・・・?」

最後に聞こえたのは切なげに押し殺したような声だった。

再びザンザスを白煙が包み込んだ。軽く触れていた手の感触と威圧感が消えた、そうが感じた次の瞬間には、また馴染んだ気配が現れた。間もなく煙が晴れ、見知った姿が顔を出す。

「・・・?・・・戻ったのか・・・」

目の前に立つを見てザンザスが呟く。こんなに突然人が、しかも現在と未来が入れ替わってしまうのが不思議で、は呆然とザンザスを見つめた。

「おかえりなさい、ボス。10年後はいかがかしら?」

ルッスーリアの声にザンザスはちらりとそちらへ目線をやる。瞬間、眉間の皺が増えた。

「・・・てめぇらは失せろ」

「んもぅ、つれないわねぇ!」

口を尖らせたルッスーリアは突然スクアーロの肩を抱いた。がっちり肩を掴まれてスクアーロはぎょっとする。

「さて、私たちは戻りましょうか」

「う゛お゛ぉい、まだ・・・」

「行くわよっ!」

ルッスーリアの力強い腕が無理矢理スクアーロを連れていく。10年後のことが引っ掛かっていたスクアーロだが、戻ってきたザンザスに問うこともできずに部屋を後にした。

「・・・ボス、何かあったんですか・・・?」

二人を追い出したザンザスに、が心配そうに問い掛ける。最後に聞いた10年後の彼の声が忘れられなかったのだ。ザンザスはその問いから、どうやら10年後の自分は言わなかったらしいと気付き、ニッと唇を吊り上げた。

「10年後の俺はどうだった、

問いに問いで返せば、途端にの頬が赤く染まる。お気に召したようだ。・・・しかし、同じ道を進むつもりはザンザスには毛頭無かった。

「生憎だが、てめぇが見た男には二度と会えねぇぞ。・・・未来は変わるからな」

「・・・?どういう・・・」

首をかしげたにフンと笑い、手を掴んで引き寄せる。強く引かれてバランスを崩した体を両腕でしっかりと抱き留めた。

「てめぇが見た男なんか越えてやる。見届けろ」

ザンザスを見上げたは驚いたように目を見開いたが、やがてはい、と答えると、照れくさそうに笑みを浮かべてザンザスの背に腕を回した。

部屋から連れ出されたスクアーロは、釈然としない様子でルッスーリアと廊下を歩いていた。そんなスクアーロに気付かないルッスーリアではない。

「これは私の推測だけど」

「・・・何だぁ?」

不意に切り出したルッスーリアに不機嫌に応じるスクアーロ。ルッスーリアは苦笑しつつ、ふ、と一度息をついてから話しはじめた。

「10年後のボス、花を持っていたでしょう」

「・・・アイリスかぁ?」

スクアーロが花の名前を知っていたことに少々驚きつつ、ルッスーリアは小さく頷いた。

「あの花は、・・・アイリスは、女性の霊魂を天国に導くと言われているわ。古代ギリシャの話だけど」

「・・・・・・・・・!」

意味を理解したスクアーロは思わず足を止めた。

「う゛お゛ぉい、まさか・・・」

「花言葉は『あなたを愛す』・・・それなら今のにあげたって構わないはずよ。・・・そういう意味を込めていたからこそ、あげられなかったんじゃないかしら」

「・・・」

「拠り所を失った人間は脆いものよ。確かにあの威圧感は震えがくるほどだったけど・・・・・・・・・あれが最後の砦かも知れないわ」

立ち尽くすスクアーロを促して再び歩き始める。黙り込んだその背をぱんと叩くと、スクアーロは険しい視線を寄越した。

「・・・あいつは何も言わなかった。俺たちは力になれねーのかぁ?」

「大丈夫よ。私たちのボスはもう、失ってはいけないものを知ってるわ」

「・・・・・・・・・ついていくだけ、かぁ」

鋭い眼光が和らぎ、ふと目線を落としてしばらく考える素振りを見せ、スクアーロは落ち着いたようだ。・・・心配はいらない、ザンザスはその目で10年後を見てきたのだから。彼の判断に従えば少なくともそんな未来は避けられる。

「私ったらいい仕事しちゃったわぁ!」

重苦しい空気を裂くようにルッスーリアが一際明るい声を出す。そうして、あ゛ぁ?と見上げてきたスクアーロに得意げな笑みを浮かべてみせた。

「だって、私の撃った一発が世界を変えるのよ!」

ein Schuss, der die Welt ändert

(2007.05.31) 晴れの守護者らしく未来を照らしたルッス姐さん、だといいな。