長期任務の後の、久しぶりのオフ。また明日から始まる任務に備えて部屋で銃やナイフの手入れをしていると、不意に内線が鳴った。

「もしもーし」

「俺だ」

受話器の向こうから聞こえたのは大好きなボスの声。・・・それも、地を這うような低い声。え、何、明らかに機嫌悪いよ!?何か怒らせるようなことしましたか!?

怯んでいる間に、

「今すぐ来い」

そう一言だけ言って、一方的に切られてしまった。

執務室に向かう途中、私は必死でその理由を考える。ただ連絡があるってだけならボスに会えて嬉しいけど、もしかして何かミスがあったのだろうか?任務は完璧にこなしたはず。報告もちゃんとした。・・・まさか昨日の夜ベルと飲んだワイン、ボスがキープしてたとか!?でもあれはベルが一人で飲みかけてたのを半分飲ませてもらっただけだし・・・。それに、キープしてるならリビングのワインセラーになんか置いておかないよね。

・・・・・・・・・よし、大丈夫。私は悪くない!

扉ですら威圧感を放つ気がするボスの執務室。その前に立った私は、一つ大きな深呼吸をしてから扉を叩く。

です」

「・・・入れ」

「失礼しまーす・・・」

そっと扉を開けて中に入る。いつもならボスが足を乗せている机の上には書類の山が出来ていて、ボスは頬杖をつきながら反対の手に持ったペンをくるくる回していた。あぁ、そんな気だるげな姿も格好良いですボス・・・・・・・・・じゃなくて。

「お呼びですか?」

机の前に立つとボスはうんざりした顔で私を見上げ、ペンを持った手で書類の山を指差した。

「手伝え」

「・・・・・・・・・は?」

予想外のことに思わず声が出てしまった。

「は?じゃねぇよ。やれ」

待ってボス、いつも勝手だなぁこの人!やれっていきなり言われても・・・!

「あの、私、明日から10日間の予定で任務が・・・」

「レヴィにでもやらせりゃいいだろ。まともにデスクワークできる奴はお前しかいねぇ」

「・・・・・・・・・」

仕方ない、ボスの命令には逆らえない。・・・それに、お前しかいねぇ、だなんてボス。それ私には最高の殺し文句です(って知ってます?)。

「分かりました。・・・じゃあ、重要でない書類だけ手伝います」

するとボスはちょっとだけ目を丸くして。

「ほぅ。・・・言ったな?」

「え?」

にやりと浮かべられた笑みはすごく格好良かった。けど、・・・すごく嫌な予感がした。

任務を終えて部屋に戻ると、山積みの書類が私を待っていた。

あれから1ヶ月、私は予想以上の書類を任されている。重要な書類の方が圧倒的に少ないなんて詐欺だ!この量、手伝うなんてレベルじゃない。そりゃ最初の頃に比べたら少なくなったけど、機密事項以外の書類はほとんど回されてるような気がする・・・。・・・そうか、「手伝え」の後に「やれ」って言ったんだったかボスは。

もう今日は寝ちゃいたいなぁ。体がだるくて仕方ない。今日は酷い目に遭ったし、余計に疲れた。・・・あぁ、でもボスに報告だけはしておかないと。まずはシャワーを浴びて、汚れた服を着替えよう。汚い格好はボスにはあんまり見せたくないし。

重い足を無理やりバスルームに動かしたところで、

「─────────・・・っ」

ぐらり、と大きく視界が歪んだ。

「・・・お、姫のお目覚め?」

目を覚ますと、横からベルが私を見下ろしていた。状況が掴めなくて見つめると、ちょっと困ったように微笑まれた。

「ダメじゃん、眠り姫は王子様のキスで目覚めるのに」

「・・・・・・・・・?」

辺りを見渡してみて、私は自分の部屋のベッドに寝かされていると分かった。

「どきなさいベル、あなたは仕事の時間よ」

「はいはい、それはルッスーリアも同じだから。・・・じゃあな、お大事に」

ポン、と私の頭を撫でてベルが部屋から出ていく。代わりに傍に来たのはルッスーリアだった。

「おはよう、気分はどう?」

「おはよう・・・・・・・・・ねぇ、私・・・・・・・・・」

ルッスーリアはすぐに私が混乱している様子を察してくれたようだ。

、あなた部屋で倒れてたのよ」

「・・・」

言われて、何となく記憶が蘇ってくる。そういえばシャワーを浴びようとして、眩暈がして、・・・それから?

「ボスが、屋敷に戻ってきてるはずのあなたが報告に来ないからって、ここへ様子を見に来たのよ。あ、私も一緒だったんだけど。それでドアを開けてみたら、が血の付いたコート着たまま倒れてるじゃない?ボスったら!なんて叫んじゃって、あなたを抱えてベッドに運んで・・・。あの時の珍しく慌てたボス、見せてあげたかったわぁ」

ルッスーリアは心底面白そうな笑みを浮かべ、意味ありげに私の頬をつついた。・・・ねぇ、それどころじゃなくない?ボスが私を運んだって?ベッドまで、ボス直々に?

「なんて恐れ多いことを・・・!」

「いいじゃない。コートを脱がせたのも、ベッドまで運んだのも、私に医療班を連れてこさせたのも、それまであなたの頭を冷やしてたのも、全部ボスが勝手にしたことよ」

ボスの行動を一つ一つ思い出すように、指折り数えながら挙げていくルッスーリア。指が折られる度に私の心も折られていく、そんな気分だ。

「医療班連れて戻ってみたらボスが氷水でタオル絞ってるんだもの。びっくりしちゃったわぁ」

「そっ、そんなことまで・・・!?」

ルッスーリアは本当に楽しんでいるようだけど、私はそれどころじゃない。ボスがそんなことしてくれるなんて。だってあのボスが。弱者は消す、が信条(?)のあのボスが!

「疲労が溜まっていたところに風邪をこじらせたようね。いい機会だから、ゆっくり休みなさい」

「・・・うん」

そろそろ私も仕事に行くわね、とルッスーリアも部屋を出て行った。

それから間もなくやってきた医療班(私が目覚めたからベルかルッスーリアが呼んでくれたのだろう)は診察の後、部屋での安静と外出の禁止(部屋から出ることすら禁止!)を言い渡して出て行った。

それから5日間、私はひたすらベッドに転がっていた。

1日3回、私のために屋敷に寝泊りしている医療班の人が診察のついでに食事を持ってきてくれる。他にはほとんど誰も来ないから、昼間はのんびり本を読んだりして過ごせるし、夜は出された薬でぐっすり眠れる。任務の報告書は部屋で書いて医療班の人に届けてもらった。机の上に置いていた書類は全てボスが持って行ったと聞いた(なんかもう色々とすみませんボス・・・)。

ルッスーリアは、疲労が溜まったところに風邪をこじらせたのだろうと言っていた。これは決して書類整理で精神的に参ったからではない。ただタイミングが悪かった、そうとしか言いようがない。ボスから回された任務は本当に簡単なものだった。運が悪かったのは、その現場で土砂降りの雨に遭いずぶ濡れになった事と、着替える間もなく急な仕事が舞い込んだこと。

何もしなくていい生活は3日目くらいまでは快適だったけど、体調が回復してくるとだんだん退屈になってきた。いつになったら外出許可が出るんだろう。ボンゴレの医療班は確かに一流なんだけど、ちょっと厳しすぎると思う。もうあの書類の山は見たくないけど、一度引き受けた仕事は投げ出したくないし、また任務に就きたいし、皆に、・・・ボスに、会いたいなぁ。任務で会えない時は何とも思わないのに、こうして部屋に独りじっとしてるのは何だか寂しい。

長期任務は普段からそんなに多いものじゃないから、あれば出来るだけ回してもらっていたけど、書類を任されるようになってからは1日もあれば片付くような簡単な任務ばかりになった(長期任務って色んな所へ遠出できるから好きだったんだけど)。ボスの配慮(?)だとは思うけど、代わりに他の人が長期任務に就いている。そこへ最近の忙しさも加わったせいで、会いたいなぁとは言っても実はレヴィの姿なんて1ヶ月見ていないし(そうだあの日からだ、ごめんレヴィ)、聞いたところスクアーロも今はいないらしい。それからベルとルッスーリアもあれから帰ってきていないそうだ(ただベルの場合は勝手に趣味を楽しんでるって可能性もある)。マーモンは今回はベルと一緒じゃなかったようで、彼だけは唯一、一昨日の昼に見舞いに来てくれた。「暇なら面白い幻覚でも見せてあげようか」なんて言ってくれたけど、マーモンの言う「面白い」の感覚がちょっとだけ怖かったのと、同時に法外な値段を請求されたので断った(この強欲アルコバレーノめ!)。

ベッドから出て、日本から持ってきたコタツで一人黙々と昼食を食べていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

ー、起きてるー?」

「(この声!)んー!」

口いっぱいに頬張っていたせいではっきり言えなかったけど、とにかく早く入ってきてほしくて返事をすると、ルッスーリアはくすくす笑いながらドアを開けた。

「おかえり!いつ帰ってきたの!?」

「昨日の夜よ。随分顔色が良くなったわね」

何だかルッスーリアの機嫌が特別に良さそうだ。私の向かいに座ってにこにこしたまま見つめてくるので、聞いてみることにした。

「やけに嬉しそう。何かいいことあった?」

するとルッスーリアの表情がさらに緩んだ。

「それがね、今回の標的がイイ男だったのよぉ!おかげで楽しませてもらったわ。あ、写真撮ってきたんだけど見る?」

「・・・い、いいよ!大事にしまっといて!」

「あらそう?」

懐に忍ばせているらしい写真を出そうとした手が何も掴まずに出てきたことにほっとした。私だってヴァリアーだし色んな死体を見慣れてはいるけど、眺めたいと思うほど好きにはなれない。っていうかイイ体は動いてなんぼだよね!(って、何言ってんだ私!)

「さっきボスに報告に行ってたんだけど、ボスも見てくれないのよぉ。キレイに撮れてるのに」

「へぇ・・・」

ボスがどう拒んだのか気になるところ。ともかく、自分で思ってるほど普遍的な趣味じゃないよ、と教えてあげるべきかもしれない。

「そういえば、ボスにお礼は言ったの?」

・・・言われて蘇る4日前の衝撃。

「・・・それが、部屋から出るの禁止されてるから、まだ・・・」

「あら、でもボスがここに」

「ううん、一度も」

「・・・・・・・・・そう」

・・・ちょっと、何よその楽しそうな顔。私これでも凹んでるっていうのに!(だって助けておきながら一度も様子見に来てくれないってことは、ボスきっと怒ってるよ!)

、ボスに会いたい?」

「なっ・・・」

「会いたいでしょう?だってはボスのこと大好きだものね!」

「・・・す、きだけど・・・っ。いい、呼んできたりとかしなくていいから!」

慌てて両手をぶんぶん振った私に、ルッスーリアは意外なことを言い出した。

「まぁ聞きなさいよ。恋するに、私がおまじないを教えてあげるわ」

「・・・おまじない?」

「そうよ、好きな人に会えるおまじないよ」

スプーンを持つ私の手をしっかりと握り締めた彼の表情は真剣そのもので、とてもからかっている風ではない。

「・・・どうすればいいの?」

半信半疑ながらも聞いてみると、ルッスーリアは片手を口元に寄せ、ピン!と小指を立てて笑った。

「そう、その素直な心がけが大切なのよ!いいこと、これから私が言うとおりにするのよ?

その夜、私はベッドの上で体を起こし、窓から星を眺めていた。

ルッスーリアが教えてくれたおまじないはこうだ。『今夜12時から1時間、流れ星にひたすら祈ること!』ただし風邪をぶり返さないように気をつけなさいね、とファー付きのコートを貸してくれた(隊服だけど明日はオフだから心配しなくていいそうだ)。それを肩に掛けて、ぼんやり夜空を眺め続ける。時計は12時半を回ったところ。・・・ひたすら祈って願いが叶うなんて、さすがおまじないは非現実的だなぁと思うけど。まぁルッスーリアが言うならやってみてもいいかな、なんて。

こうして夜空を眺めるなんてなかなか無いことだけど、意外に流れ星って多いんだと分かって面白い。あ、5つ目!ボスに会えますように・・・!

ガチャッ。

「!?」

突然開かれたドアにびっくりして振り返る。その向こうから現れた姿にさらにびっくりして、すぐに声が出ない。

「ぁ、・・・っ、」

「・・・何だ、起きてたのか」

すたすたと部屋に入ってきたボスは迷わずベッドに腰を下ろすと、体をひねって、固まったままの私を見つめてくる。ち、近い!近いですボス!

「何してた」

「え、っと・・・星を、見てました」

「はぁ?」

そりゃはぁ?ですよね!意味不明ですよね!でも一番わけわかんないのは私の頭の中ですボス、あなたこそ何してるんですか!

「・・・つーかそれ、ルッスーリアのコートじゃねぇのか」

「あっ、ルッスーリアが星が綺麗だって教えてくれて、それで風邪ぶり返さないようにって貸してくれたんです」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

黙って見つめてくる(いや、睨みつけてくる?)ボスの視線に耐え切れなくなって、私はそっとカーテンを閉めた。言えるわけないじゃない、ボスに会えるおまじないを教えてもらったので試してましただなんて!・・・そうだ、それより私には言わなきゃならないことがあるんだ・・・!

「あの、ボス」

「あぁ?」

「・・・・・・・・・ありがとうございました」

私の言葉に、ボスはぴくりと眉を動かした。何のお礼か分からないといった顔だ。

「ルッスーリアから聞きました。・・・倒れてたときのこと」

「・・・・・・・・・そうか」

「びっくりしました。ボスがそこまでしてくれるなんて思わなかったから」

「目の前で倒れられてりゃ仕方ねぇだろ。お前、俺を何だと思ってたんだ」

拗ねたような口調につい口元が緩んでしまった。ボスは普段は怖いけど、たまにこうして可愛いところも見せてくれるから好き。

「だってボス、弱い人はかっ消すじゃないですか」

「任務もろくにこなせねぇ奴はいらねぇだけだ。一人で勝手に倒れてる奴までいちいち処分してられるか」

「・・・すみません」

今のはチクリときた。勝手に倒れてるとか酷い・・・事実だから仕方ないけど。

「そういえば書類、まだいっぱいあるんですか?」

「・・・それなりにな」

「また手伝わせて下さいね」

「あぁ、てめぇが寝てる間に終わっちまうかもしれねぇがな」

・・・つまり、だからさっさと復帰しろ、ってことですよね?都合のいい方に解釈しないとますます凹みそうだ。

フン、とそっぽを向いてしまったボスは室内に目を向けていた。私は何となく俯きながら、ちらりと目線を上げてボスの横顔を盗み見る。この人にベッドまで運ばれたなんて想像したら、それだけでまた熱が上がってきそう。しかも今、この部屋に2人っきり。・・・これっておまじない効果?そんなまさか。・・・でも、こんな時間に偶然ボスが来たりしないよね・・・。

考えていたら、ボスがふと口を開いた。

「なぁ、てめぇが長期任務を好んで受けたがるのは何故だ?」

「・・・好きだから、ですけど」

「その理由を聞いてんだよ」

「・・・話せば長くなりますので・・・」

言葉を濁すと、ボスが眉間に皺を寄せて私を睨んでいた。・・・怖い。

「簡潔に言え」

「・・・昔、色んな国に連れて行ってもらったことがあって。そのせいか、知らない場所を見るのが好きなんです。だから、です」

「・・・・・・・・・それだけ、か?」

「はい」

「・・・そうか」

眉間の皺が消えた。何だったんだろう今の質問。

「なら今度、ドイツの城へ連れてってやる。行ったことねぇだろ」

「無いですけど、・・・わっ!」

いきなりボスの手が伸びてきてコートを剥ぎ取られたと思ったら、片手で目を覆うようにされて、そのまま後ろに倒された。

「まだ医療班には寝てろって言われてんだろ。星なんか見てる暇があるなら大人しく寝てろ」

頭がしっかり枕につくまで押さえつけられて、ボスの手の感触が伝わってくる。大きくて、あったかくて・・・。これがボスの手なんだと意識したらドキドキする。顔が熱くなってきたのがボスに伝わってるかもしれない。けど、このまま眠れたら幸せかも。

・・・・・・・・・あれ?いつ放してくれるんだろ。ボス?と言おうとしたけど、その前に唇に何かが触れた。あったかくて、柔らかくて、・・・・・・・・・って、あの、これってもしかして・・・!うぉぉい!と誰かのように叫びたくなった瞬間、唇が離れ、続いて手も離れていった。慌てて目を開けたら目の前にボスの真顔が迫っていて、心臓が止まるかと思った。

「・・・・・・・・・ボ、ス?」

何、今の。私キスされたんだよね?どうしてボスが、私に?混乱している私にボスは、いつものように口の端を吊り上げて笑ってみせた。

「何だ?誘ってんのか?」

「ちがっ・・・!」

私何もしてませんけど!?

否定する間もなく、再び唇を塞がれた。しかもボス、目開けたままじゃないですか・・・!じっと覗き込んでくる赤い瞳に耐えられなくて目を閉じると、フッとボスが笑った気配がした。頬の辺りをくすぐるファーや羽の感触に、何だか堪らない気分になる。

大好きなボスが来てくれて、キスされてる。何この状況、有り得ないよ!・・・まさかマーモンの幻覚?そうだよ、ルッスーリアが頼んでくれたのかも!ねぇマーモン、こんなの見せられちゃったら全財産払っても足りないくらいだけど、これで破産するなら悔いは無いよ!

ついばむようなキスが止んだので薄く目を開けてみると、ボスが目を細めた。柔らかくなったその表情に心臓が跳ねる。こんな優しい顔、今まで見たことない。・・・だめ、そんな顔で見つめられたら死にそう・・・!

・・・でも、でもこれって本当にマーモンが見せてくれてるの?だって、こんなの・・・・・・・・・!

幻覚にしたって甘すぎる

(2007.03.29) いくら金を積まれても、こんな幻覚作り出すの嫌がりそうですね、赤ん坊。/2008.02.18修正。