Pesce d'aprile

一仕事終えて、くたくたになって屋敷に戻った夜。この報告書を出したら寝よう、そう決めて執務室の扉を叩いたことがまるで懐かしく感じる。

それからおよそ5時間、はまだ一睡もできていなかった。

「まさか、記憶が無くなっちゃうなんてね」

眠るザンザスを見つめながらぽつりと呟く。

正座を崩したような姿勢で床に座り、腕を枕にしてベッドに体を預ければ、彼から貰った指輪が目について胸がぎゅっと苦しくなった。

帰ってきたに告げられたのは、ザンザスが今朝から記憶喪失になっているという話だった。

4月1日ということもあって最初は信じられなかったが、どうやらその話はボンゴレ本部の方にまで伝わっているらしいのだ。レヴィはがっくりと肩を落としていてとても声を掛けられる状態ではないし、スクアーロやベル、マーモンもあまり喋ろうとはせず、元気がないように見える。ルッスーリアだけが必死で明るく振舞っているといった状況だ。そしてザンザス自身はといえば、いつものように物を投げたりすることもなく自室に篭りっきりで、実に大人しいものである。

はルッスーリアに代わってザンザスの世話をするようになった。正直、の心の片隅にはまだ疑いの気持ちが残っていて、2人っきりでいればザンザスがボロを出すのではないかと思っていた。しかし期待は呆気なく崩れ落ちた。誰だ、そう問いかけてきた彼は、それから一度としての名前を呼ばなかった。

「ねぇボス。これ、ボスがくれたんですよ」

起こさないように小さな声で話しかけながら、ひらりと指輪をかざす。起きている間の彼には言わなかった。自分のことを覚えていない相手に恋人だとはとても名乗れなかったからだ。

「嬉しかったなぁ。ボスって何も言葉にしてくれないから不安だったんですけど」

以前の彼の姿を思い出す。元々あまり口数の多くないザンザスは、自分の気持ちを口に出して伝えるようなことはほとんどしない。けれど、口で言わない分は態度に出すのだ。それもずいぶんと不器用な方法で。

薬指に光るプラチナはザンザス自らの手で嵌めてくれたもの。外したら殺してやる、嵌めてから言われたそんな物騒な言葉すら、初めて気持ちを伝えてくれたようで嬉しかった。

「私にはこれが全てだった。・・・でも、ボスは何も覚えてないんですよね」

彼の記憶は戻るのだろうか。もし万が一戻らなかったとき、二人の関係も、終わってしまうのだろうか。

「置いていかないで・・・」

涙が溢れ出る。腕にきつく顔を埋め、しゃくりあげる声を無理やり押し込めた。

泣き声が止むのを待って目を開けた。罪悪感、とでも言うのだろうか、あまりいい気分ではない。

ボンゴレ本部、就任以来の諸々が片付いて落ち着き始めた10代目及びその幹部たちが標的だった。もちろん殺しではなくて、騙し、である。こんな悪ふざけに加担するはずのないザンザスがその中心ということもあり、本部は見事に引っかかった。あの綱吉を狼狽させたのだから大成功である。

なお、何も夜になって帰ってくるまで騙さなくても、そう言いかけたレヴィは腹部に鋼鉄の蹴りを受けて口を閉ざした。

は泣き疲れて眠ってしまったようだ。泣くほどのことかと呆れる気持ちもあるが、泣くほど好きかと言ってやりたい気持ちがやや上回っている。

いったん起きて、床に座り込んだままのの体を抱き上げると、腕に抱えてベッドに戻った。大事な抱き枕の顔には涙の痕が残り、目元が赤くなっている。冷やしてやろうと思ったわけではないが、なんとなく、自分の冷たい手を押し当てた。

「・・・Buona notte」

仕事を終えて帰ってきたはずいぶんと疲れた顔をしていた。ゆっくり眠ればいい。明日になれば全て元通りだ。名前だって遠慮なく呼んでやれる。真相を知った彼女はきっと怒るだろうが、この可愛い恋人をなだめる術は心得ている。

(2008.04.12) 久しぶりに書いたらボスの書き方を忘れていたorzリング編読み直してきます。