今日ぐらいはゆっくり休ませてあげましょうよ、そうルッスーリアが微笑んだのは今朝早くのことだ。反対する者は一人としていなかった。そうして、いつもザンザスを起こしに行くは、今日は普段より4時間ほど遅く彼の私室へと向かった。

遮光カーテンで閉ざされた部屋に、わずかな隙間から鋭い日差しが覗いている。いきなり開けるのは眩しいだろうからと、先に一声掛けることにした。どうせ彼のことだ、他人が部屋に入った時点で意識はかなり浮上している。起こすのに手間取ることがあるとすればまだ寝足りないときか、もしくは彼によからぬ悪戯心が芽生えてしまったときくらいのものだ。横を向いて丸くなっている背中を軽く叩く。

「ボス、窓開けますよー?」

「・・・ん」

彼は一瞬眉をしかめてから、ゆっくりと重いまぶたを持ち上げた。少しだけ顔を動かして彼女を視界に認めると、何も言わずごろりと仰向けになる。寝直すつもりならまたすぐ目を閉じてしまうはずなので、今日は大人しく起きてくれると判断したは、そのまま問いかけに対する了承を得たと受け取った。窓辺に向かいカーテンに手をかけると、さっと引く。暗かった部屋に一気に光が差し込み思わず目を細めた。それから鍵を開けて窓も開くと、心地よい風が入り込んでくる。すると外の様子に違和感を覚えたのか、寝起きの声がした。

「・・・何時だ?」

「10時です」

「10時?」

「今日はゆっくり寝かせてあげようって、満場一致で」

振り返ると彼はまだ寝惚けた様子ではあったが、いつもより顔色が良いように見えた。余計なお世話だ、なんて呟きながらベッドから足を下ろして立ち上がり、彼女と同じように窓辺に立つ。また強い風が入り込んできて二人の髪を、彼の羽織ったシャツの襟を揺らした。彼はふと、その風に嗅ぎ慣れない匂いが混じっているのに気がついた。くんくん、不思議そうに匂いを探る様子に彼女は思わず笑みを漏らす。

「何だと思います?」

空気を探るように、視覚と嗅覚で彼は窓から見える屋敷の庭を見渡す。その視界の端に見慣れない木を見つけた。濃い緑の葉の間に、黄色く細かい花がいくつも見える。それほど高くない木だ。

「あれか」

「ええ、今朝届いたんですよ。ボスの誕生日プレゼントにって」

「・・・またあいつらか」

あいつら、とは数年前に10代目に就任した綱吉と、その兄貴分を名乗るディーノを指していた。赤信号も二人で渡れば怖くないというやつか、彼の誕生日には仲良く花を贈ってくる。それでも昨年までは花束だったというのに、何故いきなり木なのか。

「お二人、今日本にいるでしょう?ちょうど時期なんですって、キンモクセイの」

このあたりでは見かけない木だった。誕生日に木はねぇだろう、彼はそう思いながらも、珍しさからしばらく眺めていた。それにしても何と香りの強いことか。たかが一本の木だというのに、何より強く匂ってくる。

「・・・懐かしく、ない?」

風に流されそうな声で、そっとは尋ねた。尋ねるというよりは、聞こえなくても構わない、そんなつもりで呟いたようにも聞こえる声だった。

「匂いがか?さぁ、記憶にねぇな」

「そっか。・・・そうだよね、それどころじゃなかったよね」

「・・・10年前、か」

彼女が何を思い出しているのか、とっさに思い至ってザンザスは言葉にする。彼女はこくりと頷いた。

「あのときも、この匂いがしてた」

送り主がその10年前に戦った相手だとは、何とも皮肉なものだ。

あの時、綱吉は仲間を守りたいのだと言っていた。一方ザンザスは仲間など必要無いと切り捨てた、はずだった。それが今の生活はどうだ。その仲間と、未だに共に暮らしているではないか。彼はかつて綱吉に投げかけた問いを自らにぶつけてみる。

それで貴様は何を得た?───役に立たない無償の愛を。

役に立たないならなぜ捨てない?───持っていても悪くねぇだろう。

捨てるには惜しい。いや、捨てられない。手元に置いておきたい。見返りを求めるというのなら求めればいい。

遠く過去を見つめているような彼女の横顔を見る。忘れてしまえ、軽々しく言えるような過去でもなければ、自分がそれを言える立場でないことも彼はよく分かっていた。消してやれない彼女の記憶。ならば上から塗り重ねてやろう。甘いこの香りに新たな記憶を結び付けてやろう。今までただ与えられるばかりでいた彼女の愛に応える術は、今はこれくらいしか見つからない。

名を呼べば、彼女の意識はようやく現実に戻ってきた。なぁに?と見上げてくる姿は今やボスの秘書ではなく、ザンザスという男の恋人だ。さて何をしてやれるだろう、思案しながらザンザスは彼女を腕の中に閉じ込める。生半可なことではきっと足りない。あの花が咲けば真っ先に思い出すような、鮮烈な記憶を与えたい。

「ザンザス?」

訝しげに名を呼ぶ彼女の手をおもむろに掴む。暖かい手のひらを感じながら自らの顔の高さまで持ち上げたザンザスは、静かに、口付けを落とした。

10 years after

(2007.10.10) 10年後こそは幸せになってほしいですね。