内側から扉が開く。隙間から明かりが漏れる。女が顔を覗かせる。もちろん、だ。
「おかえりなさい!」
「帰ったぜぇ」
答えながら彼女の頭に手を置き、腰を屈めて顔を寄せる。次の行動を予測したが嬉しそうに目を細めるので、悪戯心が芽生えた俺は頬にキスを落としてやった。
「・・・スクアーロ」
「何だぁ?」
わざと気づかない振りをする。唇にして、だなんてプライドの高いお前には言えないことくらい知っている。不満そうな顔で睨まれても、そういう顔をさせているのが俺だと思えば愛おしいものだ。口元がだらしなく緩む。
「ほら、目ぇ閉じろ」
改めて、拗ねさせてしまう前に唇にキスを。ついでに伏せた瞼にも。ゆっくり目を開けたの機嫌はすっかり直ったようだ。えくぼを見せたの肩を抱いて、俺は家の中に入る。奥から美味そうな匂いがしてきた。
夕食を囲みながら互いにその日のことを話すのがいつもの習慣だ。ヴァリアーを異例の寿退職したは会う機会の減った同僚たちのことを気に掛けるので、俺は事細かに様子を伝えてやる。細かいことは苦手だが、そうやって話をしてやることは苦ではなかった。
食事を済ませて、が食器を洗うのを俺は後ろから見ている。そういえば今日はルッスーリアの姿が見えなかった、と思い出して話すと、はそれなら、と口を開いた。
「家に来てたの」
「・・・はぁ?」
「お昼過ぎかな。話がしたくて、都合つけられないかと思って連絡したら、暇だからすぐ飛んでいくわぁ、って」
「・・・どうりでいねぇと思ったぜぇ」
ルッスーリアの好きは前から有名な話だった。数少ない女性隊員ということもあっただろうし、の何かがあいつのお気に召したのだろう、気に入ってとうとう秘書にまでしてしまった。そんなを俺が貰うと言った時の凹み方といったら半端じゃなかった。気の毒に思ったほどだ。
「何か用でもあったのかぁ?」
「うん、ちょっと・・・ね」
「ん゛?」
何気なく聞いてみたことだったが、含みのある返事に引っかかった。別にあいつと何を話そうが構わないが、こういう返事をされると気になる。
「・・・悩みでもあんのかぁ?」
「無いよ、そんなの」
返ってくるのは明るい声だ。別段変わった様子は無い。・・・いや、少し浮かれている、か?
席を立ち、俺はの隣に立った。手際よく食器を洗う手を上から覗き込むと、がにこりと笑った。
「実は、ね」
「何だぁ?」
「・・・赤ちゃん、できたかも」
「・・・・・・・・・」
目の前に流れる水の音が聞こえなくなった。あかちゃん、だと?赤ちゃんってあれか、小せぇあれか。だめだ頭が真っ白だ。それでも必死で考える。できたっつーことは、この腹の中にいるわけか。つまりこいつは妊婦なのか。妊婦ってのは体を大事にしなきゃならねーんじゃなかったか?
「・・・寝てろ」
「えっ?」
自分でも極端なことを言っているような気はした。だがこれ以上まともに頭が働かないのも事実だった。水を止め、食器を置かせ、手を拭いてやって、おそらく状況を理解できずにいるのだろうの体を抱き上げた。
「や、ちょっと、スクアーロ!?」
「ガキに何かあったらどーすんだぁ」
寝室のドアを脚で開け、をベッドにそっと横たえる。起き上がろうとするのを押さえつけた。・・・やりすぎだ、とはっとして手を離すと、はゆったりと体を起こした。
「あのね、まだはっきりしたわけじゃないから」
「・・・」
「最近、体の調子が変なときがあってね。もしかしてと思って、ルッスーリアに相談したの」
それ相手間違ってねぇか?と真っ先に思ったあたり、ようやく正常な思考が戻ってきたらしい。
「そうしたら、やっぱりそうなんじゃないかって。だから、明日病院行ってくるね」
「・・・悪ぃな」
「何が?」
「具合悪ぃの、気付いてやれなかった」
「大丈夫だよ。目に見えるほどのことじゃなかったし」
柔らかい笑みを浮かべたを、俺はそっと抱き寄せた。手を腰の辺りに滑らせてみる。細い。こんな体の中にもう一人いるなんて信じられない。
「明日、俺もついてくぜぇ」
「いいよ、仕事あるんでしょ?」
「それよりガキの方が大事だろぉ」
「・・・ありがと」
を抱いたままベッドに倒れ込む。まだ多少頭が混乱しているが、とにかく幸せだ。幸せ。これ以外に相応しい言葉が見つからない。
「・・・産んで、いいんだよね?」
「何言ってんだぁ。一人で足りると思うなよぉ?」
抱き締めた腕の中で、が笑う気配がした。
(・・・なんつー夢見てんだぁ、俺は・・・)
目が覚めて、はっきりと覚えている夢の中身にげんなりした。自分の脳の想像力には感服だ。子供に囲まれるなんて冗談じゃない。
窓から朝日が差し込んでいた。ベッドサイドに手を伸ばし、引き出しから小箱を取り出す。蓋を開ければ、箱の中で銀色の細いリングが光った。間違いなくこれが夢の原因だ。取り出して、手のひらに握り締める。意を決して隣に視線を移す。は、まだ気持ちよさそうに寝息を立てていた。
(起きるなよ)
左手をそっと持ち上げた。寝息は乱れない。リングを持ち直し、薬指にはめる。根元まで収めて、それでもが眠り続けているのを見て、ほっとして持ち上げた腕を元に戻した。
目が覚めたらはどんな反応を示すだろう。突っ返されるくらいなら、あの夢が正夢になればいい。