騙された、と気づいたときにはもう手遅れだった。

婚約者として紹介されたのは、私より二つ年上の、伝統と格式ある大ファミリーの御曹子。暗殺部隊のボスを務めていると聞かされて怯えていたのは、初めて彼に会うまでのほんの僅かな期間だった。

私の知る限り彼はとても物静かで穏やかな人だ。会いに行けばいつも出迎え、車から降りる私の手を取ってくれた。口数は少ないけれど、呼びかければとても優しい表情で応じてくれた。別れるときには欠かさず額にキスをくれた。

私の知る限り彼はとても部下を大切にする人だ。そのせいかレヴィさんの彼への忠誠は鬼気迫るものを感じるほどだし、スクアーロさんなんて何度も頭を撫でられていて、見ていて少し気持ち悪いくらいだった。

私の知る彼が偽りだった、そう気づいたのは、入籍を済ませた日のこと。

いつものように彼の手がスクアーロさんの頭に伸びた、と思ったその時、その手は彼の頭を掴んで思いきり机に叩き付けた。

「─────!!」

「う゛お゛ぉ・・・い」

「今までのツケだ、受け取れドカス」

私の知る彼はこんなことする人じゃない。こんな、笑って人を痛めつけるような人じゃない・・・!

驚く私を見て、彼は可笑しそうに喉を鳴らした。手が、───ついさっき信じられないことをした手が、今度は私に向かって伸びてくる。びくりと身を硬くすると、頬をそっと撫でられた。

「・・・あァ、いいツラだ」

そういう顔も悪くねぇな、と彼は言う。違う、こんなこと言う人じゃなかった!

「ザンザス、様・・・?」

「婚約解消だとか言い出されちゃ困るんでな。・・・お前を手に入れるためなら道化だって演じてやるよ」

鋭く吊り上がる口元。深く貫かれるような視線。獰猛な獣のような威圧感。私の知らない彼がそこにいた。なのに触れてくる手つきだけは変わらずに優しくて、何がなんだか分からない。これが本当の彼だというの?今まで芝居をしていたというの?・・・私を、手に入れるために?

「今更別れてぇとは言わせねぇ」

実家は確かにボンゴレの庇護を受けてはいたけれど、それでもただの一商家にすぎなかった。そんな一般人の娘である私にあのボンゴレから縁談が持ちかけられたのはそういうわけだったのかと、ようやく気付いた。

「先は長ぇ。仲良くやろうぜ、

そう言って私を抱き寄せる腕は、重く鎖のように絡みついた。

仮面の男

(2007.07.02) person(人格)の語源はpersona(仮面)ということで。もっと酷いボスが書きたかった・・・。