君だから欲しかった 〜Ver.X〜
は部屋で支度をしていた。パーティーなんて稀に任務で潜入することがあるくらいのもので、最後に正式に出席したのはもう十数年も前、ほとんど記憶の無い幼少時代のことだ。急だったので新しい服は用意できなかったが、せめてメイクには気合いを入れようと、着替えを済ませてドレッサーの前に座った。
ドアが蹴破られたのはその時だった。開きすぎたそれは壁にぶつかって少し跳ね返る。壊れなかったのがせめてもの救いだ。そしてこんな開け方をする人物は彼しかいない。・・・といっても、だいたいそれはスクアーロの部屋に限られていたはずだが。
「何するんですかボス!!」
「うるせぇ」
遠慮なく部屋に入ってきたザンザスは、反動で閉まりかけていたドアを踵で蹴って閉めると、両手の荷物───右手のメイクボックスと左腕に抱えていたいくつかの白い箱───をテーブルに置いた。両手が塞がっていたのなら蹴破られても仕方ない、なんせ相手はザンザスだ。一声掛けてくれれば開けたのに、など言うだけ無駄というものだ。
「・・・何ですか?それ」
とりあえず気になるのはザンザスの荷物だ。メイクボックスなど一体どこから、いや、それ以前に何故彼がそんなものを。すると彼はじろりとのドレスに目をくれた。
「はっ、思ったとおりだ。見るからに安物だな」
「・・・・・・・・・」
ボスが急に言い出すから用意する時間が無かったんです!・・・とは言えずに、ぐっと堪える。だがしっかり表情には出てしまったのだろう。ザンザスはフンと鼻で笑って箱の一つを手にすると、するりとリボンを解いた。中から現れたのはどう見ても高級そうな黒いドレスだ。目を丸くしたの前にそれはずいっと差し出され、思わず両手を出すと、その上にパサリと落とされた。あぁ、こんな手触りの生地は生まれて初めてかもしれない。
「着替えろ。そんな貧相な格好じゃ表に出せねぇ」
「・・・私が着るんですか?」
「俺に着させてぇか?」
「いえいえ!」
慌てて首を左右に振って否定する。着せたくないとは言わないが、それは見てはいけないもののような気がする。
はドレスを持ったままじっと固まっていた。ザンザスもそんなをじっと見ていた。あの、見られてると着替えられないんですけど。そう心の中で訴えてみるが彼には届かないらしい。
「とっとと着替えろ」
「・・・はい」
ザンザスが動こうとしないので、仕方なくはバスルームへと逃げ込んだ。ドアを閉める間際、面白そうに笑う顔が見えたのは多分気のせいだ。
着替えを済ませてバスルームのドアを開けると、すぐさま手を引かれ、ドレッサーの前に座らされた。今度は何ですか?と背後に立ったザンザスを鏡越しに見ると、彼は何でもない顔をして櫛を手にしていた。まさか、そう思ったの髪には丁寧な手つきで櫛が通されていく。恥ずかしくなって目線を落とせば、鏡の前には既にアイロンやムース、髪飾りといったものが用意されていて、そしてメイクボックスも置かれている。これからの展開は容易に想像できた。
(ねぇ、冗談でしょ?ボスが全部やってくれるっていうの・・・!?)
何と言葉を掛ければいいものか。思案するに、ザンザスはこっそり口角を持ち上げた。
本当の試練はそれからだった。すっかり綺麗に髪を結い上げられたは、今度はドレッサーに対して横向きに座らされ、自分の前に跪くザンザスと向かい合うという、今にも心臓が破裂してしまいそうな状況に陥っていた。
「ぁ・・・」
「動かすんじゃねぇ」
「・・・っ」
顎に軽く手を添えられ、反対の手に握られた筆がの唇をなぞる。顔が熱い。それはきっとザンザスにも伝わっていることだろう。真剣なザンザスの表情と今自分がされていることの恥ずかしさで、は今にも涙が出てきそうだった。しかしその目はつい先ほど、それはそれは丁寧にアイメイクを施されたばかりである。濃淡をつけて数色のアイシャドウを塗り、躊躇いの無い筆使いですっとラインを引き、ビューラーで睫毛を持ち上げ、マスカラをつけ、・・・その工程(で間近に見せ付けられたザンザスの顔)は思い出すだけでも眩暈がしそうだが、とにかく涙で流すわけにはいかない。怒られるのは必至だ。
じっと我慢していると、休み無く動いていたザンザスの手がようやく落ち着いた。
「いいぞ」
言われ、首だけ動かして鏡を見る。は言葉を失った。・・・誰ですかこの美女、自分の顔を見て一瞬そう思っただなんて口が裂けても言えない。それより化粧など縁の無いはずのザンザスが女の自分よりメイクが上手いとはどういうことだ。御曹司はそんなことまで習うというのか。それとも、これも一種のヴァリアークオリティだとでも?
「・・・ありがとう、ございます」
わけがわからなくなって、泣きそうになりながら礼を述べたに、ザンザスは口紅を片手に満足気な笑みを浮かべた。